シンポジウムのタイトル「自由な自己の道を歩いて行こう」について

  9月24日(日)開催の伊藤野枝・大杉栄らの没後100年記念シンポジウムのタイトル「自由な自己の道を歩いて行こう」は、以下の文章から採用しています。

 発表されたのは、1912年の『青鞜』12月号(第2巻第12号)。

 文章のタイトルは「日記より」。伊藤野枝が弱冠17歳の時の文章で、おそらくは、自分の体験をベースにしたであろう、と考えられる、短編小説であり創作です。

 文章は、現在の基準から見れば、他者を傷つける差別的な言葉が使われていますが、森まゆみ編『伊藤野枝集』(岩波文庫、2019年)の16-17ページに記載されている文章の一部ですので、そのまま掲載します。太字の部分が、シンポジウムのタイトルとして採用した言葉です。

  「我儘と言えば私のこの頃の激しいわがままは自分でもはっきり分かっていながら制する事が出来ない。・・・・ 私は今日までかなり、真面目に、熱心に、少しでも、私を愛してくれる父や母に、周囲の人に、本当に私を理解してほしいと思って苦しい努力を試みた。しかしそれはみんな、無駄な努力だと知れた。私と、両親との間は、あまりに遠すぎる。私が、真面目に私の本体を臆面なく、人々の前に、さらけ出そうとすれば、父も、母もみんな、目を覆って、見ようとはしない。そして、私は、わざわざ、醜くい本体を人前にさらし、間違った道を歩いて行く馬鹿者だ。世間知らずだと、ばかり罵られる。真面目な私の苦悶は、それにつれて動く感情のうつりかわりの激しさに、気狂いと冷やかな笑を浴びせられるばかりだ。
 十重二十重に縛められた因習の縄を切って自由な自己の道を歩いて行こうとする私は、因習に生きている。両親やその他の人々の目からは、常軌を逸した、危険極まる、道を平気で行く気違いとしか、見えないだろう。世間並みの道から外れた者は、やはり、気違いか、馬鹿の仲間だろう。とうてい私など世間からは容れてもらえない人間だ。だけど、今になって、両親や周囲の者が狼狽して、もとの生地に直そうとする、注文が無理なのじゃないだろうか? 私は一度開いた目を閉じて、大勢の、めくらと一緒に生命のない、卑怯な馬鹿な生き方はしたくない(伊藤野枝「日記より」『伊藤野枝集』森まゆみ編、岩波文庫、2019年、16-17頁より。初出は『青鞜』1912年12月号、第2巻第12号)。

 



 

 

コメント